先日の朝日新聞の記事を見て、戸惑いを感じました。
出版業界が低迷しているのも、それをなんとかしたいというのももちろんわかるのだけれど、それを政治の力でなんとかしようとするのはどうなのだろう。
しっかりとした分析も考察もできていないので感覚的なものでしかないのだけれど、これは方向性を間違うと大変なことになるのではないか?と感じました。
たまたま、今更ながら有川浩さんの『図書館戦争』シリーズを読んでいたり、発売になったばかりの雑誌『広告』の中でジャニーズに関する記事が発行元の博報堂とジャニーズの関係性の中で表現の削除が行われたということを知ったり、ということとタイミングが重なったこともあるかもしれません。
それは、業界に関わる人なら多くの人が願っていることではないでしょうか。
記事で言われている、書店のない自治体の増加は、本好き、本屋好きとして寂しいし悲しい。自分の暮らす町に書店がないことは、いいとか悪いとかいうよりも、わたしは単純に嫌だなと思います。
けれど、別になくてもいい、という人が大半を占め、地域の人が書店で本を買わなければ、続けていくのは難しくなります。すでに書店がない自治体(独立書店はあるのかもしれないけれど)は、そうやってなくなっていったのかもしれない。
書店がある意味は、本を売るだけではない、と思っているけれど、それは書店側が思っていることで、だから必要だろう、を押し付けるのも違うと思っています。
地方に暮らして、書店はおろか、生活に必要なスーパーやガソリンスタンドでさえ、いつなくなってしまうかわからない、ということを日々感じます。
今治市の場合、自治体からなくなることはないでしょうが、島にはすでにこりおり舎以外の書店がありません。移住してからの数年でいくつも観光客向けのカフェなどがオープンする一方で、スーパーやガソリンスタンドはいくつか閉まりました。残っているものを維持していくのに、どれだけの住民が使っていれば大丈夫なのだろう、と不安に思うこともあります。
なくなってほしくない店で買い物をすることについてや、書店が地方で形を変えて残っていくことについて、などはまた別の機会に。
パイの奪い合いではない形での存続を考えるという意味では、書店業界のことも、地方移住のこともつながるような気がするので、ここについてもいつか考えて書きたいと思います。
今の状況や政治がいいとは思わないけれど、Amazonのせいにしたり、政治のせいにしたり、なにかのせいにしていては、何もいい方向に動かないのではないか。そうして上からの力で改善したとしても、一見改善したように見える世界は、自分たちの首を絞めるのではないか。
どこかを頼ることは、そこからの圧力がかかったときに跳ね除けられなくなるのではないか。それはとても怖いことなのではないか。それは書店がなくなってしまうよりも、よっぽど恐ろしいことなのではないか。
それよりも、ほんとうに書店や、本を大事に思っている読者と、作り手と、売り手が一緒になって、業界とか構造とかをもっとシンプルにして、大事なものを大事にすることで守っていけるものを守りたい。そういう方向転換を徐々にしている人もいて、わたしもそうやって書店の守り方を探っていきたい。
まずは自分たちで守る、と思うことが大事なのではないか。
そんなふうに考えています。
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