「誰かの店」であることと「誰もの店」であることについて考えています。
 最近、ジャンルやターゲットに特化した書店について見聞きすることが増えたことと、あまりジャンルを絞らずにやってきたこりおり文庫に得意なジャンル、不得意なジャンルが見えてきたことがきっかけです。

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 函館の店で働いていた時、たくさんの棚が並ぶ、たくさんのお客さんが来る店の中に、「この棚のこの段はあの人のための本」と考えて、棚を見たお客さんが「これは自分のための棚だ」と思えるような、具体的な売り場づくりをしなさい、と言われたことがあります。

 そうやって作られた棚でなかったとしても、書店の棚を眺めていて、「ここはわたしのための棚だ!」と感じること、ありますよね。棚丸ごとほしい、とか、ほしいものしかない店、とか、規模や感じ方はいろいろあると思いますが、たとえたくさんある棚の一段だけでも、「自分のための棚」と思える棚がある書店は、何度でも行きたい、すきなお店になるのではないでしょうか。

 難しいのは、古本を交えて売り場を作っていると、お客さんにとって「うちの本棚みたい」ということが起きます。お客さんの趣味嗜好にあってはいるけれど、すでに持っている、家の本棚に並んでいる本ばかりでは、お客さんにとって発見がなく、手に取りたい本がない、ということになりかねません。こりおり舎のお客さんは文庫担当と趣味が合う方も多いので、これが結構起こりがちです。むしろお客さんの方が揃えているなんてことも…。
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 目指す意味でお客さんに「ささる棚」を作るためには、並べる本一冊一冊のことをわかっていて、並べ方にもこだわらなければなりません。
 すべての棚に対してそうしなければならないわけではありませんが、そういう棚がいくつもある店の方が「誰かの店」であれるような気がします。

 そうやって作っていった店は、「誰もの店」でもありうるのでしょうか。読書家でなくても、独自の思想を持っていなくても、文学に精通していなくても、誰にでも寄り添う本を、誰もが気軽に立ち寄れる店で届けたい。

 店に限らず、どんな場やイベントでも、「誰でもきて!」は間口を広げたようで誰にも響かない、ということは陥りがちなこと。何度もそれを実感してもいるのですが、間口を狭めるようなことには逡巡してしまいます。

 両立するようなしないような、矛盾を孕んでいるようなこの両輪をどう回していくか、考えていますがまだ答えには辿り着いていませんが、考えながらやっていかなければならない課題だと思っています。
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