函館ならではだと思う。函館は、残ることも離れることも、どこか意思を必要とするところがある土地だ。なんとなくでは残れないし、離れられない。残る人は残ろうとして残るし、残らない人は離れる選択をし残らない。
将来のために離れ、一時は戻らなくていいと思い、やむを得ず戻り、もう離れられないと思い、しかし再び離れた。一度離れたことも、戻ったことも、函館を見つめなおすという意味でも、地域を考えるという意味でも、とてもいい経験だった。また離れたことがよかったのかどうかは、これからにかかっているけれど、多分必然だった。
特集を読み、インタビューを読んでいくうちに、ひさしぶりに函館に帰りたくなった。一度戻ったときに驚いた変化以上に、しかもいい方向に、函館が変わっているのではないか。函館に「文化の木を植える」と大仰なことをうたった場づくりに関わって、植えた木が根を張る前に離れ、次第に根を張り枝を広げていくのを遠くから見ていた。地域おこしに関わるようになって、函館が「変わっていく」ことに関われていないことが少し、残念に感じた。地元愛が強い人が多い函館において、私は比較的故郷へのこだわりが少なく、無事でいてくれさえいればどうでもいい元恋人のような、そんな感じだった。それが揺らぐほど、もう帰らないと思ったことを疑うほど、函館の変化が感じられ、函館に魅力を感じる、そんなサイトだった。
今の函館がどうかはわからないが、私が函館を離れたころの函館は、仕事がなく、やりたいことができず、魅力的な店がなく、いいところだけれど生活はしていけない、そう思って離れる人が多かったのではないかと思う。私もそのひとり。そんな風に離れた人が、このサイトを見たら、函館いいじゃん、やりたいこともできるし、魅力的な人がいて刺激的な店がある、そう思うのじゃないか。これなら戻りたい、そう思う人は、すてきな街だから移住したい、と思う人よりきっと多いし、きっともっとずっといい。
もともと、移住者を増やすという施策にも若者の流出を防ぐということにも疑問があった。もちろんそれもいいことなのだけれど、移住者を増やすより若者が出て行かない地域を作るより、一度地域を離れた人が戻ってくる地域づくりが必要なんじゃないか。戻ってきたいと思えるような。戻ってきたいと思ったら戻ってこられるような。ここじゃ無理だ、と思って離れた人が、戻ってこられるような地盤づくりをしながら、戻ってきたいと思えるような発信をしていくことが、今いちばん、必要なのではないか。
地域おこし協力隊の募集が始まったと聞き、函館もいよいよだめだろうかと思ったけれど、なんだか大丈夫な気がした。だから、私はここでがんばろうと思う。戻ってきたいと思われるような、戻りたいと思ったけれど大丈夫そうだから自分はここでがんばろうと思えるような、そんな地域づくりを目指して。
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